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各種事業関連資料

イギリス・イタリアの困窮者の自立の取り組みに学ぶ!

■ コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ
コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ
コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ
 話は変わりますけれども、まちづくりの「コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ」です。大きな「コイン・ストリート」、小さな「ナイス」。ナイスもマンションを建てて、1階に小さなレストランをやっていますが、あれをちゃんとやったのがコイン・ストリートというくらい大きなものです。ちょっと思いつきませんが、若い人は、わからないかもしれませんが、天王寺の今の市立大病院、阿倍野メディックスの一帯は大貧困地帯であったのを覚えている人いますよね。その下を少し行くと崖がどんと落ちて、飛田があります。さらにその向うが同和地区になります。阿倍野という刑場があった所ですから、あの一帯は大貧困街で、僕らがまだそんな年取ってない頃でも、ギター弾きが回ってきて飲み屋で歌を歌ってくれるようなところでした。店と言えば共同便所で、近くの家も、しもた屋で、本当に貧乏でしたが、それが見事に変わりました。ところがあの中には、かつてそこに住んでいた人は誰もいません。皆追い出されたわけです。阿倍野メディックスを作ろうとか、市立大病院を作ろうとしたことに対して、10年の大反対運動を起した人たちが、いわばこの人たちが?コイン・ストリートなんですね。1951年頃に「フェスティバル・オブ・ブリティン」というと国内の万博をやったんですね。ちょうど思い出しますよね。釜ヶ崎ができる頃、内業博覧会というのがあって、1902、3年ですか、釜ヶ崎が強制的に移転させられたというような時代の話になるわけですけれども、市立大病院でなくて相手はシェルです。住宅街を取り崩して大型のビルが建ち始めてオフィス街に変わった。ここにマンションが立っているのですが、この一帯です。結構広い所です。そこを見てきましたが、おしもろかったですね。こういうふうにしたいなということで、もう一つのビジネスモデルになりました。つまり、1951年に大型改造が始まって、5万人住んでいたテムズ川南岸の人々が1970年くらいになると5千ぐらいになった。つまり追い出されて5千人くらいになって、いよいよ学校も閉鎖されるというときになって、自分の為には怒らないけれども、子どものために怒って反対運動が始まった。学校をなくすな、潰すなという反対運動が起こった。その中で出てきたのが、デベロップメント・トラストです。「デベロップメント」というのは開発で、コミュニティーあるいはソーシャル・デベロッパー、日本語の一番近い言葉で言うと「開発トラスト」を作っていくわけです。この本の中に、「The another way」、他に方法があるはずだと…と書いています。つまり見捨てられた町で、ビジネス街に変わってしまう。そうしたら、5千人の人達の商品は全く無くなって、要するに商品がビジネスマン用に売られていくわけですね。だからアイスクリームを売ってない。チョコレートは売っているけれど、駄菓子は売ってない。石鹸なんか買おうと思ったら大変ということです。昼間人口のためにしか店が動かないわけですね。5千人の人達には、どこへ行っても品物、商品がなくなってしまう。ついに子どもたちの学校までなくなってしまう。出て行け、出て行け、と言われている現象を起すということです。こうやって阿倍野メディックスのことを思い浮かべながら、もしあそこに反対運動があったら、街づくりがあったらと思います。それからつい最近では、日本橋東の日東町、皆さんがパソコンを買いに行くところあるでしょう?あの日本橋の電気店筋の裏側、ほんのすぐ裏側に市営住宅がボンと建っている所があります。あれは戦前の住宅改良事業として行われています。戦前の住宅改良?市営住宅が軍艦長屋とか言われたりして、もう本当に貧乏のどん底まで落ち込んで、しかもあの辺はやくざとか大変な状況でした。もとを辿ればいわゆる四天王寺の悲田院で、貧民が住んでいたところであり、そこがスラムになって、戦前の住宅改良事業法で改良されて、クリアランスされて、50年経ってみたら、いわゆる再スラム化したというものです。さっき程言いました第2の改良事業、改良事業を整備事業と言うのですね。改良事業をもう一回やるということです。同和地区では、有名な和歌山県御坊市の「島団地」があります。やくざがいて、家の持ち主が誰かもうわからなくなって、不法占拠・自己入居という状況になって、ごっちゃごっちゃになっていました。そういう町で、この場合には、今言いましたように天王寺の阿倍野とか京都の崇仁がよく似ていますね。あそこは改良事業の指定に対して改良事業撤回運動が起きたのです。なぜかと言うと改良事業をすると土地が強制収用になって市のものになります。しかし、京都駅の裏側に立地し、ビジネスチャンスがあるいうことで、何故改良事業の指定をするのかと暴力団が出てきて、改良事業をひっくり返して、同和地区の人は地上げラッシュでどんどん放り出されていきました。それで、地上げの中でガランとした中に人が住んでいる状態が起こった。そうした時に、どうしたら部落解放運動は、勝てるのか言っているのですね。つまり暴力団とかが町を潰しにきたときに、どうすると我々が勝てるのか、というときに、「The another way」?他に方法はないのか、ということです。
住宅街を取り崩して大型のビルが建ち始め、オフィス街に変わった一帯
住宅街を取り崩して大型のビルが建ち始め、オフィス街に変わった一帯
 イギリスにおいては、「The another way」?他に方法はないのか、と考えて、まず、開発トラストが土地を買うことを提示したのです。「コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ」、事業形態としてはNPOです。コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズが、何坪か忘れましたが、2億2千万円で土地を買い、大きなマンションを建てます。このマンションです。跳ね上げ式の有名なロンドンの橋の近くで、一等地です。テムズ川の近くでコンソメスープの工場跡地に「OXOタワービル」が建っています。これは下がアトリエで、デザイナーとか呼び込む店になっています。なかなか格好良い人が集まっています。最上階の8階がレストランで、うちのブランコートのレストランと違って格好いいのです。その下の3階?7階は住居というマンションを建てたのです。2億2千万円で土地を買ってマンションに変えた。それはどうやったかいうと、想像ですけれど、基本的には「暴力」で脅して徹底的に反対運動を起す。成田闘争ではないけれど、“一坪でも売らん”と言ってがんばったのだろうと思います。反対運動の旗立てて、「子どもたちの学校をなくすなー!」、「一緒に街づくりしよー!」と言ってやったのでしょうね。
 偶然土地持っていた人には「がんばれー!」と言いつつ、NPOに土地を売ることが社会目的になることを訴え、2億2千万で土地を取得し、トラストですから共同出資させて、建設費とか入れるともっと大きな資金を調達したのだろうと思いますが、そういうことやって建てたマンションが「OXOタワービル」です。イギリスのロンドン行くと誰でも見るような所で、大阪の梅田みたいなものです。昔、船場とか、中津とか、梅田に同和地区がありましたが、そこで開発が行われたと思ったらいいのではないでしょうかね。すばらしくて、住んでいる人達は、みんなハウジング・アソシエーション、日本語で言うと住宅協会、協同組合に入っています。労住生協かな、預金をみんなで積み立て、家を建てて買うという仕組み、コーポラティブですね。コーポラティブ住宅みたいなもので、これらが全部そうです。この位置関係で言うと、テムズ川の高層ビルの後ろです。この後ろに、格好いいレストランとか、保育所とかがあり、その中にある住宅の一つです。ここにハウジング・コーポラティブと書いていますね。これは住宅生協の新聞で、生協は一人一票の組合員の権限をもって、決定権持っていますから、誰が入るかを決めるというやり方をします。
OXOタワービル
OXOタワービル
最上階の8階がレストラン
最上階の8階がレストラン
 コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズでは、まだいろいろな計画を持っているということを話していました。
1.イギリス視察
 ■ ブロムリーバイボウセンター
 ■ グリーンワークス&ファーストフルーツ
 ■ コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ
 ■ ソーシャル・ファームUK
2.イタリア視察
 ■ バーチャル・コープ
 ■ ピアッツア・グランデ
 ■ コーパップス
 ■ バンカ・ポポラーレ・エティカ
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