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各種事業関連資料

イギリス・イタリアの困窮者の自立の取り組みに学ぶ!

■ ブロムリーバイボウセンター
ブロムリーバイボウセンター
ブロムリーバイボウセンター
 まず行ったのがブロムリーバイボウで、1万人が住み、言語で60ヶ国語が話されている。「えっ、60ヶ国語も」、一つひとつあげられませんよ。「どないして暮らしてんやろう…」と思うようなところですけれど、シティオブロンドンと言われる金融街からどっち向いて走ったのかわかりませんが、走っていたら急にエスニックな風景がやってきて、イスラムの人が多いんやろなという露天がずっとあって、ブロムリーバイボウに着いたということです。60ヶ国語の中で、一番多いのがバングラディシュ人で40%を占め、38%がロンドン子。ですから62%がイギリス人ではない人たちですね。イギリスの約7%くらいは非白人ということですが、ロンドンにおいては人口の4分の1が非白人で、地区によっては6?7割を移民が占めるところもあり、長いこと侵略していた罰であってこういうことになるんでしょうけれど。「ゆりかごかごから墓場まで」といいましたけれど、終わることのない社会保障みたいなものですね。あくまでゆりかごから墓場まで、人間の体ですけれど。この国には移民の人がどんどん増え、貧しい人の一方通行現象が起きてきて、どんどん終わることのない社会保障という考え方があって、だからコスト論に対する意識が日本人と違います。結構遠大なコストで、ちまちました福祉に金がかかり過ぎているといっているんじゃなくて、かなり長い間福祉と付き合っていくんだけれども、本当にコストは大丈夫なのか、破綻しないのかという発想ですね。一度滅亡を見た国ならではの、遠大さだと思います。
 そういうものがあって、ブロムリーバイボウというのは、日本で言うと今の「西成」を想像してみて下さい。公営住宅がずらっと並び75%が高齢者です。ここが西成とちょっと違うところですけれども、つまり今こんなホームレスの人がたくさんおり、貧しさでは今の西成ですけれども、ほとんどが市営住宅で、住んでいる人は半分ぐらいが昔からの人が変わって、貧しい人だけが住んで町が荒廃している。そしてこんなきれいな、イギリスは市営住宅を見て誤解するといけないのですが、イギリスの市営住宅はきれいです。イギリスの建築物は、百年を考えていますから、最初からいいものを作っています。そこに貧しい人達が住んでいるのです。ところがサッチャーがやったことは、その時聞いた話では5千万円と言っていましたが、100m2あったか、なかったかの住宅を5千万円で売りました。ブロムリーバイボウでも同じ市営住宅に持ち家の人と賃貸の人が住んでいるのです。この貧富の差には驚きますよね。5千万円で買えた人と、生活保護を受けて住んでいる人が同じアパートにいる。私なら買わないと思います。結局、それは行き詰って、買った人もわずかで、やはり貧しさに変わりないのです。75%が公営住宅で、1万人の内の60%がなんらかの公的扶助を受けている人たちです。
 そういうブロムリーバイボウ、今の西成、を何とかしようと思った人?アンドリュー・モ?ソンという牧師さんが、22年前に教会にやって来たわけです。その教会は、200人も収容可能な教会だったのに、当時8人くらいの高齢者しかやって来ないような寂れた場所で、いつ潰れるかわからない、何処かの「なんとかセンター」に似ているかもしれませんが、大変ピンチな状態にありました。そこで彼は、何をしたかという話ですね。その教会で最初に行われたことは、(施設の)あちこちに絵がありますが、使う人が少ないから空いているわけですから、空いている場所を画家に貸して、アトリエみたいに使わせて、ただで使っていてもいいけれど、「君たちは、ただで絵を教えてあげたまえ」ということを始めると、ぴったりきたということです。そして、アンドリュー・モリソン等が取り組んだ大きなことは、「ヘルシーリビングセンター(保健センター)」づくり?いわゆる「芦原病院を作ろう」というような運動?を1993年に始めたのです。 1992年、ジーンさんという2人の子どもを持つ未婚の母が、癌に侵されて死んでしまって、このブロムリーバイボウセンターに集まってきた人達が、アンドリュー・モリソンを囲んで、なぜ行政は助けられなかったのかということを議論するのです。昔の部落解放運動を思い出しますね。「何故、助けられなかったのか」ということをやっていく中で、自分たちで病院を作るしかないと、1993年から病院設立運動を始め、1997年にヘルシーリビングセンターという自分たちの病院を立ち上げて、120万ポンドといいますから2億6,400万円の設立資金をローンで100万ポンド、2億2千万円ほどはローンを組んでやったのですね。詳しいことはわかりませんが、土地の担保だけではなくて、医者を担保にしたのだと思います。人質ですね。阪南町病院も似たようなことで危機を乗り切ったんですね。お医者さんが、「わしの名前で金借りたら…」と言ったら、お医者さんの存在そのもので金を貸してくれるわけです。「この人10年でいくら稼ぐ?」というようなものですから、有名なお医者さんをヘッドハンティングしてきて、そのお医者さんを借金のカタにして金を借り、土地は荒れ果てた公園を市から200円で買い取ったと話していました。そこは麻薬が横行し、殺人が横行するような非常にさびれた、いわゆる“悪の温床”であったところを買い取り、自分たちの手できれいに維持管理し、治安に役立ち、町の浄化に役立つ代わりに、低いコストで譲り受けたということです。病院の売り上げで、その公園の周辺を清掃しなければならないというやり方をやって現在に至っています。
教会
教会
ヘルシーリビングセンター(保健センター)
ヘルシーリビングセンター(保健センター)
ヘルシーリビングセンター(保健センター)
 この病院には監視カメラがありません。日本では監視カメラのある病院が結構多いですよね。それから、受付には仕切のガラスがない、ポスターもない。「たばこの吸いすぎに気をつけましょう」というような類のポスターが一切ない。「健康に注意しましょう」などというようなポスターもない。医者が患者をファーストネームで呼ぶとか、案内の呼び出しも医者自身がやる。「誰々さん、誰々さんの番ですよ」とかの呼び出しを医者自身がやるとか、受診した子どもの似顔絵が描いてありますが、受診を嫌がる子どもが、嫌がらずに来るようになったとか、うまいことやるなと思いますけれど、貧しい人々が初めて医療に出会う時の気持ちですね。なんていうのでしょう。私たちの経験でもそうですが、怖いんですね。小さい子どものとき、初めて病院に行く日の恐怖と、大人になっても貧しい人達が抱く病院に行くときの恐怖をよくわかって、「いい出会いを作ろうと」いうことを多分言っているのだろうと思います。
 これはデイサービスセンターです。これは障害者が陶芸教室などをやっているところです。はい、続きます。これはボブス・パークで、昔、「ボブスさん」という人がこの公園を維持管理してくれていて、そのときはきれいだったが、ボブスさんが亡くなったあと荒廃し、スラム化していった。一つの象徴であった公園を自分たちの手できれいにしよう、名前もボブスさんにちなんだ公園にしようということで、「ボブス・パーク」と名付けられたそうです。写真で見ると面白くも、なんともない公園ですが、実際行ってみたら、街づくりということを非常に痛感する場所で、非常に象徴的な場所です。例えば、自分たちの手作りのベンチを置くとか、園路に自分たちが焼いた絵タイルを埋め込むとか、そういうふうにやっています。
デイサービスセンター
デイサービスセンター
ボブス・パーク
ボブス・パーク
絵タイル
絵タイル
 そしてもう一度いいますが、解放会館にあたる「ブロムリーバイボウセンター」、大阪でいうと人権協会みたいないなものですね。「人権文化センター」と、それから“チャーチ”「教会」ですね。それから「チャイルドケア」、子ども会とか保育所という感じですね。それから「ヘルシーリビングセンター(保健センター)」と、5つの団体によって、共同企業体というか、共同で運営されています。近畿大学の久教授が、「ラウンドテーブル」ということを言われ、出会い、交流の場づくりを行われていますが、社会福祉にとって必要なことは、あれこれのサービスをやっていくだけではなくて、社会福祉という媒体を通じて、人と人とが知恵を出し合い、交流していくことが重要であるということです。会議の持ち方とかを非常に大事にしないといけないとか、言いっぱなし会議を永遠に続けて、そのうち動員もかけないということではなく、一人から動員をはじめて、二人目ができる、3人目ができるという過程をゆっくり楽しむという、「出会いの場づくり」が大事だと思います。私は、地域就労センターであれこれの相談も大事で、マッチングも大事で、いろいろ考えてきましたが、困ったとき、いろんなときに誰と出会うか、「人と人との出会い」ということが非常に大事で、そういう出会いの場づくりが大事なんだと思っています。
 22 年前にアンドリュー・モーソンという、社会企業家、ソーシャル・アントレプレナーが考え出したのは、それなりに国の政策化で公営住宅が建ったけれども、また再びスラム化したこの町の再生を、しかも60カ国も話すような多様な文化とか、多様な価値を持った人々がひとつの町に暮らすところで、大切な再建の第一歩は、出会いの場を作ることだったのだろうなと私は思いました。これは、私なりの勝手な理解です。
コミュニティーガーデン
コミュニティーガーデン
ザ・バーン
ザ・バーン
 それからコミュニティーガーデンです。うつ病だとしたら、処方箋で「コミュニティーガーデン一坪」という処方箋をもらうらしいのです。薬替わりですね。見ているだけでは、「なんじゃコリャ?」という感じです。「ザ・バーン」、これは社会的企業支援グループの共同オフィスです。つまりブロムリーバイボウという下町を再生した22年間の大きな力は、社会的企業であった。つまりお金が儲からなくても、法律や制度がなくても、ブロムリーバイボウを人間の町として再生しなければならないとして立ち上がったアンドリュー・モーソンや社会企業家(ソーシャル・アントレプレナー)と社会的企業グループ、それはどんなものなのかということを1,2紹介したいと思います。
グリーン・ドリームズ
グリーン・ドリームズ
 これは「グリーン・ドリームズ」、日本でいうと造園屋ですね。家を建てようとしたら、“あなたの庭の造園やらしてや”ということがありますが、最初1万ポンドいうから220万円くらいの仕事を請け負って、「おっ、ええやないか。やるやないか」と言われて、それを積み重ねていって、とうとう大きな仕事ができるようになって、一年も経ったら20万ポンドというから4億円程の仕事をやっている造園屋、造園設計とかやる会社で、たった6?7人で始めた社会的企業のグループです。
ファニチャー・グループ
ファニチャー・グループ
バイ・イン・ザ・スカイ
バイ・イン・ザ・スカイ
 それから「ファニチャー・グループ」で、これは家具制作とかをやるグループです。「レイカー・デザイン」、これは印刷屋さん、デザイン屋さんです。それから「バイ・イン・ザ・スカイ」、これは食堂、コミュニティー・レストランです。
 こういった社会的企業が支えていて、これは正確に言わないといけませんが、私が聞いた数字では、現在のブロムリーバイボウセンターの事業高は300万ポンドです。300万ポンドということは6億6千万円程の事業体です。先程の5つの共同体で、事業グループが約100あります。先の社会的企業グループだとか、子ども会、NPOだとか、もう何がなんだかわけのわからないようなグループだとか、ただの画家とかを入れて約100の事業グループがあって、120人の専従職員がいて、6億6千万円の事業をやることで成り立っている。公的なものは、撤退しているかもしれないけれども、6億円の事業高のあるサービスを作り出している解放会館に変わっているよ?という意味ですね。「やってやれないことはないよ」と、何度もいいますが「The another way」です。そういうことを目指そうよ、というようなことを感じながら、私は帰ってきました。
 ソーシャル・アントレプナーは、「社会的企業家」と訳しますが、最初「起す」という創業の意味で聞いていて、だいたいそう思っていますよね。ところが「企てる」の方を書くのです。どちらでもいいわけですが、どちらの意味もあって、つまり「起す=創業」という意味と、「企てる=企画する」という意味ですね。だから日本語に訳した時に、「アントレプレナー」が一時流行しましたのは、「創業」という意味で使われたようです。ところが向こうに行ったら、「アントレプレナー」というのは、むしろ「企業家」というふうに力を入れて、「社会起業家」という「起業」は、今でいう企業連の「企業」と書いたほうがいいのではないかと思います。ちょっと余談ですけれど、シチズン、ソーシャル、何と言いますか、「シチズン・アントレプレナー」というところ、市役所職員です。「企業家的市役所の職員」というところですね。「アントレプレナー」という職業があるわけではなくて、「アントレプレナー」という公務員がいるのです。「アントレプレナー」という会社の役員がいるのです。「アントレプレナー」というNPOの活動家がおる。つまり、人の大事さを表現しているグループです。私もCAN と長いこと付き合い、4年くらい勉強して、全然わかりませんでした。今でいうと総合福祉人権センターや解放会館、人権協会とかもそうかな、いわゆる直接的サービスを提供するわけではなく、しかも権限をもっているわけでもない。これが「中間的支援機関」ですけれども、さぼっていてもわからない、がんばっても人に誉められないってやつですね。でも社会には、この中間支援機関というのが非常に大事なんですね。昔、それを特別対策という言葉で同和対策を言い表したのですね。制度があっても、そこの「橋」を渡ることができなければだめでしょう。橋で、言ってみれば“ガイドヘルパーが要るよね”というわけです。どこかの団体も書いていましたが、ホームレスにとって本当に必要なのは「ガイドヘルパーで」あると。要するに、おにぎりを持って行って付き合い、最後は仕事まで引っ張って、出口まで引っ張って付いていく「ガイドヘルパー」という支援が必要であると言っています。これを何と言うのでしょう。中間支援みたいな役割は、なかなか分からなくて、イギリスは一体何を言っているのだろうと、はじめは気付かなかったのです。CAN(コミュニティー・アクション・ネットワーク)、アンドリュー・モーソン等の指導者?私はアンドリュー・モーソンには直接西成で会いましたが、大変有名な牧師さんです?こういう人たちの頭の中にあるのは、「アントレプレナー」という人を「育てる」ということなのでしょうね。しかもその「育てる」というのは、学校やインターネットではなく、実際に育てることですね。随行して育てるというか、一緒にやりながら育てる。出会いの場を作るというか、私は上手いこと表現できませんが、大事なこと言おうと思っているのですが、上手い言葉が見つかりません。そういう人の育て方、私も含めてみなさんも後継者育成とか悩んでおられると思いますが、勉強する場を作るのではなく、何か応援するのでもなく、“一緒にやりながら育てていく”というこの大事さを痛感したグループが今、700人のメンバーがいます。多いか?というと少ないですよね。でもどこ行っても、このCANのメンバーが種まきをやっています。
国防省のボブさん、リリーさん
国防省のボブさん、リリーさん
 CAN (コミュニティー・アクション・ネットワーク)は、中間支援機関で、イギリスでは登録でいうとチャリティーです。だからCANは社会的企業ではなく、 CANというNPOでもあります。CANというチャリティー登録した団体です。チャリティー登録というのは、寄付を受け入れるということです。ブロムリーバイボウでは、このCANのグループがその役割を果たしているということです。この男性は国防省の人でボブさん、女性はリリーさんで、損害保険会社のエリート社員です。国防省ですから、日本で言うと防衛庁の職員です。出向しているということで、どういうところから派遣されているか聞きましたら、内務省や教育科学省(日本の厚生労働省や文部科学省)、北アイルランド省、財務省などの国の機関、銀行や保険会社、コカコーラなどの民間企業ということでした。そういうところからどんどん人が派遣されてきて、例えば同和問題に取り組んだり、まちづくりに取り組んだり、ホームレス支援に取り組んだり、障害者支援に取り組んだりしている。こういうふうに見たらいいのです。大北さんが、「シチズン・アントレプレナーやね」と言っていましたが、要するに仕事しない公務員という意味ではなく、アントレプレナーみたいな公務員ということです。そういう人を育てる。これも大阪府や大阪市のみなさんがいいのです。市の職員を「アントレプレナー」として育て、市役所を活性化しようと、目的意識を持ってやっていく。あるいは保険会社なんかは、お客さんのニーズを把握する、地域の信頼を得るということの大事さからやっているのですね。それとやはり、今や社会的企業に対する評価の高い国では、お客様の信頼を得るという企業努力に対して、打てば響くという社会があるわけですね。そういうことがあるからこそ、パッと響くのでしょうが、やはりマーケットの開発の仕方をよくわかっていて、多数の誰もがやるようなマーケットの開発ではだめだということでしょう。一人暮らしの高齢者のマーケット開発ということで、私らがやったことは、お風呂屋さんに高齢者が一番集まるから、お風呂の料金を百円下げただけでも助かり、そうするとそこにマーケットが生まれる。うちには4,000人いますが、4,000人いるのであれば旅行会を開催することも可能となる。近畿ツーリストがバリアフリープランの旅行を企画してやっていますが、高齢者をお客とした、そうした旅行を開催してみようというようなアイデアが生まれてくる。そうした意味で、民間出身の彼女はやっているし、国防省の彼はシチズン・アントレプレナーを育てるという意味です。
1.イギリス視察
 ■ ブロムリーバイボウセンター
 ■ グリーンワークス&ファーストフルーツ
 ■ コイン・ストリート・コミュニティー・ビルダーズ
 ■ ソーシャル・ファームUK
2.イタリア視察
 ■ バーチャル・コープ
 ■ ピアッツア・グランデ
 ■ コーパップス
 ■ バンカ・ポポラーレ・エティカ
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